龍脈のお話のつづきですが、
古代、リーダーとしてまず重要だったのが、水を視ること。稲作のみならず、生きるために必要不可欠な水脈を視るちから。
それから、これまた重要だったのが「水銀」ですね。
近代ではもちろん、毒性が強いために使用が控えられている金属ですが、古代は神秘思想を伴って非常に珍重されていました。
水銀や「辰砂」(朱)はその特性や外見から、古代では不死の薬と考えられたのです。
古墳の玄室を辰砂(朱)で塗ることは、権力と再生の象徴でした。
中国の練丹術では、不老不死の薬「仙丹」の原料と信じられ、始皇帝も愛飲。(ヒエ〜〜)
それが日本に伝わって飛鳥時代、天武天皇の皇后・持統天皇も若さと美しさを保つために飲んでいたそうです。(コワ〜〜)
これはもちろん毒を飲んでいるようなもので、多くの権力者が命を落としたといわれています。
古代は、朱砂・辰砂が採れる土地のことを「丹土」(にう)と言いました。
また、「丹土」は水銀や朱砂を採掘・加工していた氏族の名前でもありました。その御祭神がニウヅヒメ(丹生津姫、丹生津比女)です。
水脈と鉱脈を視ることが出来る能力があったのは、弘法大師空海です。
高野山麓には丹生都比売神社がありますが、御祭神はニウヅヒメ(丹生津姫、丹生津比女)です。
弘法大師と非常に関わりが深いです。
また、三重県多気郡にあった丹生鉱山では、縄文時代からその近辺で辰砂の採掘が行なわれていました。
天武天皇の時代、ここからほど近い場所に「斎宮」(伊勢神宮の天照大神を祀る斎王の御所)が置かれたのもまた、偶然ではないような気がします。
伊勢国の多気郡(たきのこおり)は、古くは「竹郡(たけのこおり)」と呼ばれていました。
この「竹」(たけ)と、古代丹波王国(現京都府丹後)があったとされる「竹野」(たけの)との関わりがまた、何か有りそうですね。古代丹波は元伊勢です。ミステリーです。
さらに、奈良県は古代葛城氏の形跡が残る高取町。竹取物語のかぐや姫の真相とは!?
・・・あれ?
なんでこんな話を、一生懸命してるんでしょうか、わたしは?
いったいどうしたんでしょうか。
古代史モードに入ってしまいました。
他にもいろいろとありますので、そのうちまとめたいなと思って、はやンン年が過ぎておりますが、。
こういうのは、経験上、実際にその場所へ赴くのが非常に重要ですし、楽しいです。(大変な思いをするときもありますが。)
「龍脈を歩こう会」でも作ろうかな。(笑)