滋賀県野洲市。近江富士と呼ばれる秀麗なピラミッド山、三上山に登拝しました。
まず、ふもとに鎮座する御上神社に参拝してから、悠紀斎田の横を通り、登山口へ。
猪除けの金柵を手で開けると、岩が転がる急斜面が始まります。
裏参道から、登ること50分。
いづれの民俗を問はず、古い信仰が新しい信仰に圧迫せられて敗退する節には、その神はみな零落して妖怪となるものである。
妖怪は、いはゞ公認せられざる神である。
民俗学者 柳田國男氏 『一目小僧その他』より
今年に入って、『天目一箇神(あめのまひとつのかみ)』に関するお仕事が増えてきました。
刀鍛冶、蹈鞴(たたら)製鉄、銅鐸鋳造。
弥生時代当時、最先端の金属技術を先導した出雲のリーダー。
これまで受け取った情報をまとめると、どうやら、崩壊したアトランティスの技術を何らかの形で継承した、科学者的存在(あるいは、一族)の可能性が。。
そんなことって、あるのでしょうか。
驚きました。。
火と水を駆使する蹈鞴(たたら)の現場では、三日三晩の温度管理で穴から高温の火を見続けたり、製錬時に飛ぶ火花によって、目をやられて片目になる人や、鞴(ふいご)を踏むために足を悪くして片足になる人が少なくなかったそうです。
ダイダラボッチは、妖怪ではなく、人です。
しかも、現代で言えばノーベル賞を受賞してもおかしくない、当時最先端の科学技術者だったとしたら、妖怪の描写はあまりにひどい。
弥生銅鐸の薄さ(3mm)は、現在の技術で、なんと再現できないそうです。
10年ほど前に初めてその話を聞いたとき、銅鐸というものについて、衝撃にも似た強い興味が湧いたのを覚えています。
天之御影神=天目一箇神=金山彦(カナヤマヒコ)神=金屋子神。
296年に降臨されたと伝わる神体山三上山の磐座(イワクラ)から北方へ続く、大岩山麓から、24個の銅鐸が発見されています。
天目一箇命が1700年ぶりに復活されたら、そのひとつの目で、今の世に何を観、何を想われるだろう。
そんなことを考えながら山頂に鎮まる磐座の前に立つと、一陣の風が。切れた雲の間から、はるか遠くに一族の故郷、生駒山(奈良県)が薄紅色に霞んで見えました。
一族はこの後、大和政権に追われて東へ駿河、三島、香取、鹿島、そしてさらに北へ、青森県まで逃れます。
ここのところ、
ひとつの目で見る。
ということについて、厳しく愛に満ちたメッセージを受け取っています。
2012年、いま開かれるべき第三の目は、眉間(松果体)のサードアイではなく、ハート(心臓)のひとつの目・まひとつなのかも知れません。