3月20日のワークショップは、開催予定のままです。
来週以降、状況を見て、もしも変更が出ましたら、速やかにご連絡いたします。
1週間先、2週間先、どのようになっているのか、今は分かりません。
この「分かりません」というのが、マインドにとっては最も恐怖で、「知りたい」「分かりたい」「(安心したい)」という欲求が、「でも、分からない」とセットになってエンドレス・ループすると、地獄です。
マインドが「分からない」へ緩やかに開かれることが、子どものころに常にあった、あの多幸感の源かも知れません。
「これ、もう知ってる。」「あれ、もう知ってる。」が増えるたびに、世界は狭く、つまらなくなっていき、、
でも、「ほんとうは分かれない」のです。
ヒトの頭(脳)で知覚している世界は、絶対的なものではない。
ヒトは、外側の宇宙に脅迫されながら、個別に独立してポツンと居るのでもない。
個別に独立してポツンと居るように感じられるように(わざと)している、全体の、、、把握できない、、ええと、、
うーーん。この先は、コトバが産まれる以前(ビッグバン以前)なので記述不能・・・
そもそも、全体が全体のままだったら、何も知覚できない。例えば熟睡中、気絶中など。
だから、自分の体、自分の心、自分の思考、自分の選択、自分の意思、自分の魂(!)、だとあなたが信じて疑いもしないもの全て、あなた(個人)ではないのです。
って!!
あ”ーーーっ!!
わけがわかりませんよね。
わけがわからないとき、マインドは怒ります。そういう機能なのです。
でもほんとうに、「わけがわかるわけが無い」のです。
何かを知っているつもりでいるマインドが、「ほんとうに、何も分かり得ないんだ」と降参したころ、ホームの前に着いています。
学校現場や公演現場という特に身近な業界で、休校、中止、延期、など切実な激震が走るなか、慌てふためき右往左往するマインドと、最終的に「それで、よろしい。」と任せて委ねているハートが、協力してこの文章を書きました。